手間をかけることは、無駄なのか?

Plastic Free Julyも25日目になりました。

ここまで、「もったいない」「壊れたら直す」「古いものを大切に使う暮らし」と、少しずつ“暮らしの速度”を見直すような話を書いてきました。

今日は、その流れの中でもかなり大事なことを書きたいと思います。

それは、

手間をかけることは、本当に無駄なのか?

ということです。

今の時代、私たちはとにかく「早い」「簡単」「効率的」が正義のような空気の中で暮らしています。

ワンクリックで注文できる。
ボタンひとつで温められる。
使い終わったら捨てればいい。
汚れたら新しいものを買えばいい。
時間がかかることは、なるべく省く。

もちろん、私も便利さにはたくさん助けられています。

忙しい日には、時短に救われることもあります。
疲れている日は、簡単な方法に頼ることもあります。

でもその一方で、環境のことを考えながら暮らしていると、ふと立ち止まりたくなることがあります。

“手間を減らし続けた先に、私たちは何を失っているんだろう?”

今日はそんなことを考えてみたいと思います。

手間をかけない暮らしは、本当に楽なのか

「手間を減らすこと」は、暮らしを軽くしてくれるように見えます。

洗い物が減る。
片付けが早く終わる。
買い物の手間も減る。
考える時間も短くて済む。

一見すると、とても合理的です。

でも、その“楽さ”は本当に長い目で見て楽なのだろうか、と私は思うことがあります。

たとえば、使い捨てのものを買い続けると、また次も買わなければいけません。

安いものを何度も買い替えると、結局そのたびに選ぶ時間も、お金も、処分する手間もかかります。

使い終わったらすぐ捨てる暮らしは、一瞬だけ楽でも、長い目で見ると、ずっと“物を入れて、捨てて、また入れる”ことを繰り返す暮らしでもあります。

それは本当に、楽なのでしょうか。

私は最近、そうは思わなくなってきました。

手をかけたものには、愛着が生まれる

手間のかかることには、面倒くささがあります。

正直、あります。

蜜蝋ラップを洗うのも、布巾を煮洗いするのも、食材を最後まで使い切る献立を考えるのも、決して「何も考えずにできること」ではありません。

でも、不思議なことに、手をかけたものには愛着が生まれます。

手入れをしながら使っている道具。
繰り返し洗って使っている布。
少し面倒でも、自分で工夫して整えたキッチン。
時間をかけて作った食事。

そういうものは、ただの“消費したもの”ではなくなります。

そこに自分の時間が入るからです。

時間をかけたものには、気持ちが残ります。

だから、簡単には捨てなくなる。
もっと大切にしたくなる。
次もちゃんと使いたくなる。

私は、ここに「手間」の価値があると思っています。

効率だけでは作れない豊かさがある

効率は大事です。

私は効率を否定したいわけではありません。

むしろ、子どもがいて、仕事もして、毎日やることが山ほどある中で、効率化しなければ回らないこともたくさんあります。

でも、効率だけでは作れないものもあります。

ゆっくり野菜を切る時間。
保存容器を洗って並べる時間。
お気に入りの道具を手入れする時間。
季節のものを仕込む時間。
子どもと一緒にごはんを作る時間。

こういう時間は、効率だけで見れば“削れる時間”なのかもしれません。

でも私は、こういう時間こそが、暮らしをただの作業にしないために必要なのではないかと思っています。

何もかも最短で終わらせることが、豊かさとは限らない。

むしろ、少しだけ遠回りすることで見えてくるものがある。

私はそう感じています。

「面倒くさい」は、悪者じゃない

今の時代、「面倒くさい」はすぐに排除されがちです。

面倒ならやめる。
面倒なら外注する。
面倒なら買い替える。
面倒なら使い捨てる。

でも私は、面倒くさいことが全部悪いとは思いません。

面倒くさいからこそ、見えることがあります。

たとえば、ゴミを減らそうとすると、自分がどんな物を買っているのかが見えてきます。

食材を使い切ろうとすると、自分の買い方や料理の癖が見えてきます。

物を直そうとすると、その物の構造や素材が見えてきます。

つまり、面倒くさいことの中には、暮らしを見直すヒントがたくさん埋まっています。

楽な方法ばかり選んでいると、その気づきごと通り過ぎてしまうことがあります。

それは、少し惜しいことだなと思うのです。

手間をかけることは、自分の暮らしに参加すること

私は最近、「手間をかける」ということは、単に作業量を増やすことではないと思うようになりました。

それは、自分の暮らしにちゃんと参加することです。

何を食べるか。
どう保存するか。
何を残して、何を手放すか。
どの道具を使い続けるか。
どんなものを家に入れるか。

そういうことを、面倒だから全部外に任せてしまうのではなく、自分の手で少し関わる。

その関わりがあるから、暮らしは「なんとなく流れていくもの」ではなく、「自分で選んで作っているもの」になっていく気がします。

全部を完璧にやる必要はありません。

でも、自分の暮らしに少しだけ手をかけることは、自分の生活を他人任せにしないということでもあると思うのです。

環境活動は、手間を増やすことではない

ここでひとつ大事なことを言うと、私は「環境のためなら何でも手間をかけるべき」と言いたいわけではありません。

無理をして続かなくなるなら意味がありません。

疲れ切ってしまったら本末転倒です。

私が言いたいのは、“手間があるからダメ”と最初から切り捨てなくてもいいのではないかということです。

少し手間はかかるけれど、その分、自分の暮らしが整うこと。
少し面倒だけれど、その分、ごみが減ること。
少し時間はかかるけれど、その分、物を大切にできること。

そういうものの中には、意外と「やってみたら悪くない」がたくさんあります。

環境活動は、我慢大会ではありません。

手間を増やすことが目的でもありません。

ただ、少しだけ暮らしに意識を向けることで、見える景色が変わることはある。

私はその変化が好きです。

便利さの中で、あえて残したいもの

これから先、もっと便利なものは増えていくと思います。

AIも、家電も、宅配も、きっとますます進化していくでしょう。

それ自体は悪いことではありません。

でも、そんな時代だからこそ、私はあえて残したいものがあります。

それは、少し手をかける暮らしです。

全部を自動化しないこと。
全部を最短で済ませないこと。
少しだけ、自分の手を使うこと。
少しだけ、時間をかけること。

その中にしか宿らない感覚が、きっとあります。

私はそれを、これからもなくしたくありません。

今日の小さなチャレンジ

今日、ひとつだけ“少し手間のかかること”をやってみませんか。

たとえば、

  • 使い捨てではなく、いつもの布巾を丁寧に洗って干す
  • 残り野菜で一品作ってみる
  • お気に入りの道具を磨いてみる
  • 保存容器をきれいに洗って整える
  • 壊れかけている物を「直せるかな」と見てみる

ほんの少しで十分です。

その小さな手間の中に、意外と心地よさがあるかもしれません。

Plastic Free Julyは、何かを完璧にやる月ではなく、
暮らしにもう少しだけ、自分の手を戻してみる月なのかもしれません。

手間をかけることは、無駄ではない。

私はそう思っています。

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