オーストラリアで当たり前だったことが日本では当たり前じゃなかった

私はオーストラリアから日本へ移住して8年になります。

日本での暮らしにもすっかり慣れましたが、今でも時々感じることがあります。

それは、

「当たり前って国によって全然違う」

ということです。

今日はPlastic Free Julyの3日目。

私がオーストラリアで当たり前だと思っていたことと、日本で暮らして驚いたことについて書いてみたいと思います。

スーパーの袋は無料ではなかった

オーストラリアに住んでいた頃、買い物へ行くときはマイバッグを持っていくのが普通でした。

忘れたら有料。

だから自然と持って行くようになります。

当時は特別な環境活動をしているという感覚はありませんでした。

みんな普通にやっていたからです。

日本へ来た当初、レジ袋が無料だったことに少し驚きました。

しかもとても丁寧に袋へ入れてくれる。

日本らしい素晴らしいサービスだと思いました。

でも同時に、

「こんなにたくさんの袋が毎日使われているんだ」

とも感じました。

今では日本もレジ袋が有料化されましたが、それでもマイバッグ文化はまだ発展途上なのかもしれません。

包装の多さに驚いた

日本で暮らし始めて最初に感じたのは包装の多さでした。

お菓子。

お土産。

お弁当。

果物。

野菜。

一つひとつがとても丁寧に包装されています。

日本の美しい文化の一つでもあります。

清潔で美しく、相手を思いやる心が感じられます。

ただ、その一方で大量のごみが生まれる現実もあります。

私はどちらが正しいとは思いません。

文化には理由があります。

だからこそ、

必要な包装とそうでない包装を考えることが大切なのではないかと思っています。

ファーマーズマーケットという文化

オーストラリアでは週末になるとファーマーズマーケットへ行くことがよくありました。

生産者さんと直接話しながら野菜を買う。

袋を持参する。

必要な分だけ買う。

そんな買い物が日常でした。

日本にも素敵な直売所がありますが、まだまだスーパー中心の暮らしです。

私は今でも地元の生産者さんから買うことができると嬉しくなります。

野菜を作った人の顔が見える。

その安心感は特別なものがあります。

「便利」が当たり前になっていた

日本へ来て改めて感じたのは、

日本は本当に便利な国だということです。

24時間営業のお店。

コンビニ。

宅配サービス。

自動販売機。

欲しいものがすぐ手に入ります。

これは世界的に見てもすごいことです。

でも便利さの裏側には、

エネルギーや資源の消費があります。

私は便利さを否定したいわけではありません。

むしろ便利なものにたくさん助けられています。

ただ、

「便利だから使う」

ではなく、

「本当に必要だから使う」

という選択ができるといいなと思っています。

Plastic Free Julyが教えてくれたこと

Plastic Free Julyを続けてきて感じるのは、

環境活動は何かを我慢することではないということです。

むしろ、

暮らしを見つめ直す時間。

そんな気がしています。

オーストラリアが正しい。

日本が間違っている。

そんな話ではありません。

国が違えば文化も違う。

歴史も違う。

考え方も違う。

だから面白いのだと思います。

その中で、

自分にできることを探していく。

それがPlastic Free Julyの魅力なのかもしれません。

小さな選択が未来を作る

私はオーストラリアで学んだことを日本へ持ってきました。

そして日本で学んだこともたくさんあります。

どちらが優れているという話ではありません。

大切なのは、

自分がどんな未来を選びたいか。

そのために今日どんな選択をするか。

だと思っています。

もし今日スーパーへ行く予定があるなら、

少しだけ周りを見渡してみてください。

包装は必要かな?

マイバッグは持ったかな?

そんな小さな問いかけが、未来につながっているのかもしれません。

明日は、我が家のゴミ箱をひっくり返して見えてきた意外な現実についてお話ししたいと思います。

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